今日、昭和8年に撮影された記録映像を紹介している、昭和38年に放送された紀行もの番組の録画映像をみた。
昭和8年のオリジナルの映像に写っている街の景色をみて、「昨今では及びもつかない長閑な風景」などと語っている場面があり、昭和38年当時の人は、昭和8年の風景にそのような感覚を抱いているんだなと不思議な感覚になるとともに、ということは、令和3年の今の俺からしてみたら、その世界に関してだけ言えばもうすべてを超越してしまって、神の視点になってない? って思ったわけ。
この話は、途中に昭和38年という第三者が介在することにより、令和3年の今と、昭和8年の人々の生活感が連綿と続く歴史の流れ何だということを強く印象つけてくれることにある。
昭和8年なので太平洋戦争前、戦火に巻き込まれる前のこと。その映像に写っている人々で昭和38年まで存命できた人は何人いたのだろう?
いつの時も、その記録が残された瞬間こそが最先端であると同時に、想い出カウンターが積算を始める。 今はブログとかで多くの写真がアーカイブ的にサーバーに上がっていると思うが、今から88年後(西暦2109年)の人達がみる記録映像で令和3年とはどういう時代に映るんだろうか。 その時、当然ながら俺自身はいないけど、俺の遺伝子を受け継いだ誰かが、見つけ出して見てくれると面白いと思う。
小説「神の鉄槌」では、西暦2109年には人類は火星に移住しており、小惑星と地球の衝突危機が起きることになっているんだが…
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